えかブログ

季節の手仕事、日常の思ったことなど

過去の自分を許すこと。

 

過去の自分を責めることがある。

 

今の自分に満足できなくて、過去の自分を責めるのだ。
過去の自分からしたら、未来の自分のために一生懸命頑張ったのになんてひどい仕打ちだと思うだろうか。

 

高校を卒業した私は放射線技師になるために大学へ通った。
そして国家試験も合格しそのまま大学病院に就職した。
何も考えていなかった。
とりあえず就職できればゴールだと思っていた。

 

だがそんな気持ちで就職したのでまわりの同期や先輩の意識の高さについていくことができなかった。
自分の考えのなさが露呈されるだけでプライドも人間性もなにもかも否定され、心がボロボロになる前に辞めた。
その間わずか2か月だった。

 

最初はどうして大学病院なんか就職したんだと後悔した。
田舎の小さい病院で検診業務だけやってればいいところにすればよかった。
そもそもなぜ放射線技師を選んだのかと、高校生の自分を恨んだ。
そして考えていくと自分の人生は失敗ばかりだったと思う。
最終的には生まれたことを恨み、産んだ親をも恨んだ。

 

苦しかった。

 

しかし昔の自分にはその選択しかできなかったのだと気づいた。
まだ人生経験も浅く親や友達の意見を参考にするしかなくて、医療系なら就職に困らないからという話を鵜吞みにし進路を決めたのは自分だ。
他の誰かのせいではない。
間違いなく自分の責任である。

 

では自分の選択は間違っていたのだろうか?
過去の自分のせいで今、私は苦しんでいるのだろうか?

 

それもまた違う。

 

少なくともその時の自分にはその選択が最善だと思ったのだ。
過去の自分が悩み、苦しみ、選んだ答えだった。
それを私が否定することは決してできない。

確かに就職先はちゃんと選ぶべきだった。
しかし住み慣れた土地で働きたいとも思っていた。
全く知らない土地で誰にも頼ることができないよりは、少しでも知っている人がいるところに居たかった。

 

その考えは間違いではない。
そしてそれは言い訳でもない。
過去の自分を責めるのではなく、許してあげたい。
昔の自分も苦しかった。
苦しみの種類が違っただけだ。

 

今私がもう一度就活をしろと言われたら嫌に決まっている。
勉強だって簡単ではなかった。
国家試験は2月の終わり。合格できなければ内定もすべて白紙に戻る。
4年生の初めの模試では下から2番目だった。
それでも国家試験では学年で2番目の成績で合格したのだから当時の自分は相当頑張ったと思う。

 

そして今なら違う選択をすると思うのは当然のことだ。
なぜならその選択をしたからこそ学んだことがあるからだ。

だからもう過去の自分を責めるのはやめよう。
今私がするべきことは自分が選んだ選択を認めてあげること。
誰のせいにすることもなく、受け入れること。

 

自分が選択してきたものは、過去の自分が大切にしていたものだったはず。
捨てることなんてできなかった。

 

そう思ったら自分の選んだ選択が愛おしくなった。
そして心が少し軽くなった。

 

ふと、今の自分は不幸なのだろうかと考えた。
特別幸せではないかもしれないが、不幸ではないと言える。
だったらもう少し楽しそうに生きてもいいかもしれないと思った。

 

今私がここにいることは紛れもなく過去の自分のおかげなのだから。
自分の選んだ選択ごと過去の自分を愛してあげたい。