嫌な夢を見た
泣きながら目が覚めた。
最悪だ。
悲しくて仕方がなかった。
最近仕事で自分の存在意義がわからず落ち込むことがあった。
同じ時期に入社したほぼ同期の2コ上の人は半年ほど前リーダーになったのに、自分はというと以前と何も変わらない。
業績も去年入社の新人よりも悪いくらいだ。
それが劣等感となり私を苦しめる。
どんな夢だったかは具体的に覚えていない。
でも上司に嫌なことを言われて悔しかったことだけは覚えている。
別にリーダーになりたいわけではない。
責任のある仕事はやりたくないし、今までどおりの立場でいい。
そう思っているはずなのにどうしてこんなに苦しいのか。
どこかでこのままではいけないという焦りがあるのだろう。
まわりはみんな結婚し子供を産んで自分の居場所を見つけているのに、私は家にも職場にも居場所なんてない。
このまま歳だけとって一人で老いていくのが怖くて仕方がないのだ。
相棒との別れ
車を購入することにした。
地元に戻った時ありがたいことに親が用意してくれた中古車がそろそろ替え時な気がして、次の車検が来る前に買い替えることになった。
もうかれこれ6年近く乗っていたことになる。
走行距離も10万キロを超え外見にも錆や塗装のはがれも目立つようになったのもあるが、カーナビがないことやエアコンをつけると坂が登れないなどの問題もあった。
他にも先日エンジンの警告灯が点灯したため慌てて車屋に持って行ったことがあった。
何かの部品がサビて点くことがあるとのことで、走っていてエンストしそうな感じでなければ問題ないと言われたのだが、それ以来怖くて遠出できなくなってしまっていた。
今の車とはいろんな思い出を共有してきたと思う。
つらい時も楽しい時もいつも一緒だった。
いろんなところに連れて行ってくれたし新しい景色を見せてもらった。
そんな相棒と別れると思うとやはり寂しい気持ちになる。
購入を決めてからはより一層愛着が湧き、もう少し一緒にいたいと思うようになった。
納車の日まではまだあるが最後まで大事に乗りたいと思ったのだった。
過去の自分を許すこと。
過去の自分を責めることがある。
今の自分に満足できなくて、過去の自分を責めるのだ。
過去の自分からしたら、未来の自分のために一生懸命頑張ったのになんてひどい仕打ちだと思うだろうか。
高校を卒業した私は放射線技師になるために大学へ通った。
そして国家試験も合格しそのまま大学病院に就職した。
何も考えていなかった。
とりあえず就職できればゴールだと思っていた。
だがそんな気持ちで就職したのでまわりの同期や先輩の意識の高さについていくことができなかった。
自分の考えのなさが露呈されるだけでプライドも人間性もなにもかも否定され、心がボロボロになる前に辞めた。
その間わずか2か月だった。
最初はどうして大学病院なんか就職したんだと後悔した。
田舎の小さい病院で検診業務だけやってればいいところにすればよかった。
そもそもなぜ放射線技師を選んだのかと、高校生の自分を恨んだ。
そして考えていくと自分の人生は失敗ばかりだったと思う。
最終的には生まれたことを恨み、産んだ親をも恨んだ。
苦しかった。
しかし昔の自分にはその選択しかできなかったのだと気づいた。
まだ人生経験も浅く親や友達の意見を参考にするしかなくて、医療系なら就職に困らないからという話を鵜吞みにし進路を決めたのは自分だ。
他の誰かのせいではない。
間違いなく自分の責任である。
では自分の選択は間違っていたのだろうか?
過去の自分のせいで今、私は苦しんでいるのだろうか?
それもまた違う。
少なくともその時の自分にはその選択が最善だと思ったのだ。
過去の自分が悩み、苦しみ、選んだ答えだった。
それを私が否定することは決してできない。
確かに就職先はちゃんと選ぶべきだった。
しかし住み慣れた土地で働きたいとも思っていた。
全く知らない土地で誰にも頼ることができないよりは、少しでも知っている人がいるところに居たかった。
その考えは間違いではない。
そしてそれは言い訳でもない。
過去の自分を責めるのではなく、許してあげたい。
昔の自分も苦しかった。
苦しみの種類が違っただけだ。
今私がもう一度就活をしろと言われたら嫌に決まっている。
勉強だって簡単ではなかった。
国家試験は2月の終わり。合格できなければ内定もすべて白紙に戻る。
4年生の初めの模試では下から2番目だった。
それでも国家試験では学年で2番目の成績で合格したのだから当時の自分は相当頑張ったと思う。
そして今なら違う選択をすると思うのは当然のことだ。
なぜならその選択をしたからこそ学んだことがあるからだ。
だからもう過去の自分を責めるのはやめよう。
今私がするべきことは自分が選んだ選択を認めてあげること。
誰のせいにすることもなく、受け入れること。
自分が選択してきたものは、過去の自分が大切にしていたものだったはず。
捨てることなんてできなかった。
そう思ったら自分の選んだ選択が愛おしくなった。
そして心が少し軽くなった。
ふと、今の自分は不幸なのだろうかと考えた。
特別幸せではないかもしれないが、不幸ではないと言える。
だったらもう少し楽しそうに生きてもいいかもしれないと思った。
今私がここにいることは紛れもなく過去の自分のおかげなのだから。
自分の選んだ選択ごと過去の自分を愛してあげたい。
ケーキは芸術品だと思う。
ケーキが食べたくなった。
今年に入ってから家から車で10分の場所に新しいケーキ屋さんができ、オープンして間もない頃に1度だけ行ったことがあった。
しかし近年はコンビニスイーツも進化しており安くておいしいスイーツがいつでも手に入る時代、ケーキ屋さんのケーキの値段の高さに驚いてしばらくご無沙汰していた。
実は午前中に近くのスーパーまで買い出しに行ったときに行こうか迷っていた。
その時は結局行かなかったのだが、やはり気になってまた車を走らせることになった。
美しい。
パティシエさんが作るケーキは食べ物でもあり芸術品でもあると思う。
ザッハトルテという名前のケーキがあるのは以前から知っていたが、改めて食べるのは初めてだった。
濃厚なチョコレートケーキで、中に生クリームとアプリコットソースが隠れている。
少しの酸味がアクセントになりぺろりと食べてしまうことができた。
コロナ禍で一時期お菓子作りにはまっていくつかケーキも作ったことがあったが、やはりお店の手の込んだケーキは自分では作れないなと思う。
他にモンブランとシュークリームも一緒に買ったので合計金額にビビりながら会計をすることになったが、たまには贅沢してみるのも悪くないと思った。
また食べたくなったら行こう。
季節のコーヒーを買う楽しみ。
スターバックスコーヒーのオンラインストアでコーヒーを買った。
仕事から帰って荷物が届いているとわくわくし、疲れが一気に飛んでいく。
自分が住んでいるところからスタバの店舗は近くても1時間以上かかるのでオンラインストアはいつも重宝している。
税抜き5000円未満は送料220円(税込)がかかるが、店舗に行く時間と手間とガソリン代に比べれば安いものだ。
いつもはダークローストのコモドドラゴンブレンドとミディアムローストの豆を気分で選んでいるが、今回は季節限定のコーヒー豆をセレクトした。
アニバーサリーブレンドは毎年発売されていて去年も購入したような気がするが、パッケージは毎年変わるので楽しみだ。
インドネシアが産地の豆をブレンドしなめらかで力強いダークロースト。
ホットよりもアイスをよく飲むので酸味の少ない深入りの豆が好きでよく買う。
タンザニアの方には説明のカードが付属している。
こういうものは捨てられずとってあるが使い道がないのでいつも本のしおりになる。
オンラインで購入するときにオプションとしてコーヒーパスポートという小さい本がもらえるのだが、それに貼る用のシールだ。
残念ながら一度も使ったことがないが、コレクションするのが好きなので地味に楽しみにしている。
本当は味の違いなどを書き留めておきたいが、自分の舌と語彙力では複雑な味の違いを言葉にすることが難しい。
昔、コーヒーショップでバイトをしていたことがある。
そのころはコーヒーのおいしさをまだ知らずただ苦い飲み物だと思っていたが、味の違いを説明できるようにと実際に飲んでみるとインスタントとは比べ物にならないくらい複雑な香りがしたのを覚えている。
最初のうちはブラックで飲むことはハードルが高かったので、薄めのアメリカンにしたり、ミルクを入れたりして飲めるように練習したものだ。
今でもブラックで飲むよりはミルクを入れて飲むのが好きだが、仕事終わりに飲むアイスコーヒーのおいしさを教えてもらったことをとても感謝している。
味の違いまではわからなくても、季節によって違うコーヒー豆を買いそれを楽しむことができる。
改めて幸せだと思った。
ラーメンのおいしさを再発見した。
ラーメンを食べに行った。
今まで地元にはラーメン屋というものがなかった。
ラーメンといえば家で食べるインスタントラーメンかカップラーメンがほとんどで、この歳になるまでラーメン屋さんのラーメンは食べたことがなかった。
先日オープンしたばかりの時に友人と食べに行ってそのおいしさを知った。
まずスープがおいしいし、麺もしっかりコシもあり当たり前だがインスタントとは全くの別物であった。
今回は新メニューのつけ麺を食べに行った。
何気にチャーシューがハートの形になっている。
実はつけ麺というものを食べるのも今回が初めてだった。
なので味がどうとか評価はできないがとにかくおいしかった。
そして麺がしっかりしているからか、結構食べ応えがあり大満足だった。
幸せだった。
また食べに行きたい。
お腹いっぱい食べられる幸せ。
久しぶりに外食した。
父が退院したので祝いもかねて二人でご飯を食べに行った。
入院したときはどうなるかと思ったが、意外にピンピンしていたので心配して損した気になったくらいだった。
しかし元気な顔を見たらやはり安心した。
父の好きな中華料理屋へ。
父はいつも五目そばとチャーハンを一人で食べる。
退院したばかりであまり食欲もないかと思ったがいつも通り二人分頼むので、私はカニ玉を注文しチャーハンとカニ玉を半分づつ分け合った。
安易に注文したがかなりの量だった。
食べきれないかと思ったが、残すのは鶏さんに申し訳ないので頑張って食べる。
普通に二人分を注文すればいいものを、誰かと外食する機会が少ないのでいつも分量がわからない。
前も友人と居酒屋に行ったときは注文しすぎてお腹がはちきれそうになった。
次からの教訓にしよう…
本当はこの日私は中華料理ではなく、大好きなソフトクリーム屋さんの土日限定ソフトを食べに行く予定だった。
しかし父に誘われたのでお昼食べた後に行こうと思っていたのだが、もうこの時点で満足してしまった。
でも今度の土日休みは2週間後だしその時に限定ソフトがまだやっているのかわからなかったので、迷ったが勢いで行くことに。
これだ。
これが食べたかった。
最近食欲があまりないので食べるときはお腹を空かせていかなくてはと思っていたのに、図らずもお腹はすでにいっぱい。
しかしながら甘いものは別腹というが食べ始めるとおいしくて、やっぱり来てよかったと思った。
が、こちらのソフトクリームもかなりのボリューム。
極めつけに白玉まで入っているので最後はやはり苦しかった。
でもなんとか完食。
こういう時はもっとたくさん食べれたらいいのにと思う。
スーパーやコンビニで今日食べるものを探すときもそうだ。
食べたいものがいっぱいあって選べない。
一つを選ぶともう一つが食べられないというジレンマに悩まされる。
それはただ単に自分が優柔不断なだけだろうが、胃がもう少し大きければ好きなものをお腹いっぱい食べられるのにと思う。
いや実際好きなものをおなかいっぱい食べれてはいるが、ひとつではなくたくさんの種類を少しづつ食べたいのだ。
あれもこれもと考えて迷って決めて食べて、やっぱり違うものを食べればよかったと後悔することもある。
考えてみれば贅沢な話だ。
食べることは幸せなことなのに。
その幸せに慣れすぎてしまったのかわからないが、今日食べられなくても明日食べればいいじゃないか。
そう思えるようになりたい。
カニ玉もソフトクリームも食べて後悔はしていないが、必要以上に食べたことは否めない。
ちゃんと鶏さんや牛さんに感謝しないとなと思った。
そして欲張りすぎはよくないと反省した。
夕飯はほとんど食べられなかったので、二食分食べたと思えばまあいいかと思ったが次からは気を付けようと思う。